「郡上八幡城」は、岐阜県郡上市八幡町柳町にあり、郡上市街を望む八幡山にある山城です。
水と踊りで有名な城下町にある郡上八幡城。明治に廃城、昭和8年に再建され木造再建城として日本最古です。
踊りと水で有名な郡上市にある眺望がすばらしい山城。
郡上八幡町を訪れたならば、ぜひ八幡城にのぼることをお薦めします。郡上と言えば、「郡上おどり」と「水の町」として有名ですが城下町としての郡上八幡も知っておいてください。「郡上八幡城」は、300年前遠藤盛数が築城し、1871(明治4)年廃藩置県とともに廃城となりましたが、1933(昭和8)年に模擬天守が再建されました。同じ県内にある大垣城をモデルにして木造再建城としては日本最古である。
天守閣の最上階から見る八幡町の眺めはスバラシイの一言。吉田川に沿った細長い町並みが見られ、三方に連なる山々の裾まで家々がぎっしり立ち並んで見えます。
郡上八幡城全景
内助の功で有名な山本一豊の妻「千代」は初代藩主の娘。
郡上八幡城の駐車場から城山遊歩道の途中にある公園内に建つ山内一豊・千代の像から木々の間から見る郡上八幡城の天守がバランス良く見られました。山内一豊は、乱世に、信長、秀吉、家康の三英傑に仕え、後に初代土佐藩主となった。その影には、妻・千代の存在が大きかった。
また、平成18年(2006)のNHK大河ドラマ「功名が辻」[原作:司馬遼太郎]で放送され、内助の功の代名詞とも言われる山内一豊の妻「千代」は、ドラマの中ではヒロインとして描かれていた。千代はここ初代藩主の娘と言われています。ここにある二人の像を見て納得。
周りの風景をゆっくりと楽しみながら歩くこと約15分、郡上八幡の町並が見渡せる見晴し台へここからの眺望は素晴らしい。城主、遠藤盛数もここから五百五十年ほど前、郡上の城下町を見ていたのだろうか。ここからが郡上八幡城の入口です。城内には、力石なる大きな二つの石が置かれ、1667年(寛文7)に城主遠藤常友が城を修理するため領内から多数の人夫を集めた時、人夫の一人である大和町の作兵衛が城下の河原から背負ってこの地まで運び上げたものだと言われている。城内では、鎧や刀など興味深い所蔵品が展示されています。
山内一豊と千代の像より郡上八幡城を望む
お城修理のため、人夫が運び込んだと言われる「力石」
戦国時代末期に八幡山に建てられた郡上八幡城。
この城の歴史は戦国末期と浅く、その当時郡上一円は篠脇城を居城とする東氏(とうし)により支配されていました。後に東氏は郡上八幡の町を挟んで反対側にある東殿山に城を構えたが、1559(永禄2)年八幡山に砦を築いた遠藤盛数によって滅ぼされ郡上一円を支配し、「郡上八幡城」を築いた。
その後、遠藤盛数の長男慶隆が城主となるが、羽柴(豊臣)秀吉と対立する織田信孝の傘下にいたため追放された。その後、稲葉貞通が城主になり、天守や二の丸などが建造され、今日に伝えられる石垣も築かれた。
しかし、関ヶ原の戦いで西軍に属していて移封の憂き目をみることになる。徳川家康は、関ヶ原の戦いの功により遠藤慶隆を入封させて城主になった。
以後、廃藩置県となるまで郡上藩の藩庁となる。五代藩主常久まで遠藤氏が城主となり、以後井上氏二代、金森氏二代、青山氏7代と城主が変わり、青山幸宣が藩主の時に明治維新を迎え廃藩置県により廃城となった。
再建された天守構造は4層5階模擬木造で、指定文化財として岐阜県史跡、郡上市有形文化財(模擬天守)に指定されている。
郡上八幡城天守閣へ
周辺とアクセス・住所
八幡町から明宝に向かう道(せせらぎ街道)は、高山につながる楽しいドライブコース。山々の木々と渓流が織り成す飛騨路のベストワンと言え見どころイッパイです。
郡上八幡城
岐阜県郡上市八幡町柳町一の平
開城時間 9:00~17:00(季節により変動あり)
入館料:大人300円、小人150円
団体割引(20名以上):大人250円、小人100円
定休日 年末年始のみ(12/20~1/10は閉城)
駐車場 あり(普通車20台)
アクセス
東海北陸自動車道「郡上八幡」インターから10分
長良川鉄道郡上駅からまめバス赤ルートで13分、城下町プラザ下車、徒歩20分
http://www.gujohachiman.com/siro/
お城から見た郡上八幡の町並み
(ぶら旅ネット K.Yamada)