愛知県津島市の「堀田家住宅」は、江戸中期に建てられた町屋建築で国の重要文化財です。
愛知県津島市の「堀田家住宅」は、江戸中期に建てられた町屋建築で国の重要文化財です。
津島神社と天王川公園の間にある「堀田家住宅」
愛知県津島市の観光名所の中心地にある、「津島神社」と「天王川公園」との間にある『堀田家住宅』。津島市が建物を堀田家より寄贈を受け、敷地を購入し現在の場所へ移築した。敷地面積は約2055m2(約623坪)もあり、県道68号線に面した場所にある。屋敷の構えや間取りなどは、尾張地方の特色が表現され、保存状態も万全です。
津島神社とは関係が深く、酒造業を営んでいた町家で古図が多数残されていて、屋敷の平面の移り変わりが見る事ができる。
堀田家住宅外観
堀田家と津島との関わり
古き歴史の上に多大な文化遺産を残す津島のような町には、それに貢献する豪家があるものである。
津島の今日あるのは堀田家あってのことであろう。初代は津島神社に仕える神宮番頭之定の次男之理(1573?1669)から始まり、十代善之(1845?1915)へと続く。
雑貨商、質業、酒造業を営む商家で、新田開発のような行政の仕事にも関わり、神道漢学・和歌・俳諧・茶の湯等、教養文化面にも造詣が深い堀田家を主軸に、門前町としての津島が出来あがっていったのであろう。津島神社への寄進は申すに及ばず、豊かな財力をもって尾張藩への資金の調達をするなか、藩からの特権をも与えられていたのである。
思えば堀田家の長期にわたる存続はなぜであろうか。ただ権力を誇って私的な欲望を求め、華やかな生活に入り、非民主的な支配の上においてであったならば直ちに崩壊していたであろう。常に民衆にやる気と安心を与え、尊敬される施政であったに違いない。深くは解らないが、質実剛健で、家風に添った勉学・教養・努力、それにも増して心あたたまる奉仕につとめた至誠をうかがい知ることができるのである。
津島の歴史は、津島神社と堀田家を初めとした名家の数々が頂点に位置して貢献することにより、裾野へと拡がり今日に至ったと言えよう。
町がうるおう。格式が上がる。人材が揃う。
そして様々な重厚な文化へと発展していったことも、おのずと頷けるではないか。
堀田家住宅内観
重要文化財「堀田家住宅」
「堀田家住宅」は、江戸時代中期、正徳年間(1711~1716)に建てられたといわれていて、その後修理・増築を重ね、県道拡幅工事のために昭和48年に約60m西の現在の場所に移されました。敷地面積は、約2,055m2(約623坪)。数度にわたって手が加えられてはいますが、質も保存状態も良く、屋敷の構えや間取りなどには尾張の地方色がよく現れています。堀田家住宅は古図と合わせて、昭和53年5月31日、国の重要文化財に指定。
堀田家住宅・中庭
公開案内
開 館 日 /土・日曜日、祝日
開館時間 /午前10時から午後3時まで
料 金 /一 般 300円(200円)
小・中学生 100円(50円)
( )内は15人以上の団体料金。
休 館 日 /1月1日~3日、
12月29日~31日、
月曜日(月曜日が祝日の場合は開館)
愛知県津島市南門前町一丁目2番地の1
重要文化財「堀田家住宅」について
http://www.city.tsushima.lg.jp/index.php?dtype=1000&oid=1429&pid=438
(ぶら旅ネット K.Yamada)