神武天皇と皇后媛蹈~五十鈴媛が祀られている橿原神宮:奈良県橿原市

正史としては、日本最古とされる「日本書紀」にて、日本建国の地と記された橿原。その地にそびえ立つ橿原神宮とは

「橿原」という地域(2014年~2015年取材)

正史としては、日本最古とされる「日本書紀」にて、日本建国の地と記された橿原。
天照大神(あまてらすおおかみ)の血をひく神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこのみこと)
(のちの神武天皇)が、豊かで平和な国作りを目指して、九州高千穂の宮から東に向かい、
幾多の苦難を乗り越え、畝傍山(うねびやま)の東南の麓に橿原宮を創建。
今からおよそ2,600余年前の紀元元年、第一代天皇として即位されました。

表参道(2015.1)

橿原神宮へのアクセス

〒634-8550 奈良県橿原市久米町934
電話:0744-22-3271
FAX :0744-24-7720

<参拝時間>
開門時間は日の出、日没の間となっております。(季節によって開閉時間の変動あり)
※正月7日間は閉門時間が特別時間となります。(諸行事で時間の変動あり)

橿原神宮 神門開閉時間表

<開門>
1/2~2/28(2/29)AM6:30
3/1~4/20AM6:00
4/21~6/10AM5:30
6/11~7/10AM5:00
7/11~9/10AM5:30
9/11~11/20AM6:00
11/21~12/31AM6:30
<閉門>
1/8~1/31PM5:30
2/1~4/30PM6:00
5/1~6/10PM6:30
6/11~7/31PM7:00
8/1~9/10PM6:30
9/11~10/10PM6:00
10/11~11/20PM5:30
11/21~12/30PM5:00

御祈祷・その他受付:AM9:00~PM4:00
宝物館:土・日・祝休日AM9:00~PM4:00(平日は要予約)

にぎわってます!(2015.1)

橿原神宮の御鎮座

天照大神が天孫・瓊瓊杵尊に仰せになった「豊葦原の瑞穂
(とよあしはらのみずほ)国は、我が子孫の君たるべき国なり」の
お言葉通り、神武天皇が国内統一をなさり、畝傍山の東南・橿原の地に
皇居を造られ、即位の礼を行われました。明治時代には、天皇の御聖徳を
尊び敬いたいという想いから、この地に神宮創建をという請願が
民間有志より出され、明治天皇がこれを褒めたたえ、元京都御所の賢所
(かしこどころ)と神嘉殿を下げ渡され、明治23年4月2日に、官幣大社
・橿原神宮として御鎮座になりました。

外拝殿その1(2015.1)

神武天皇について

神武天皇は、天照大神が瓊瓊杵尊の御降臨の際に下された御言葉の様に、
民の為に正しい政治を行い、「八紘あめのしたを掩おおいて宇いえと為せむ」
(天下を一つの家のように)との「天業恢弘」(高天原を地上に実現させ、
広めること)の理想を実現なさるため、地理的政治的に重要な位置にある
大和国原の橿原の地でこそ、日本を統一して国家体制を築き上げられると
確信されたと言われています。

御勅令「八紘一宇」の意味は、天地四方八方の果てに至るまで、全ての民族が、
あたかも一軒の家に住むように仲良く暮らす事とされています。

政治の理想については、「そもそも世に聖人と尊敬せられる人が制度を制定する
場合には、必ずその事柄が現代の時勢に適合するように努めるものである。
いやしくも人民の利益となるならば、どうして聖業とたがうことがあろうか」と
仰せになり、天照大神が皇孫にこの国を授けられた御徳に応えるためには、
正義の精神をもって民が幸福な生活を営むように、徳をもって民を慈しむ政治を
することであると教えられています。

神武天皇が橿原の宮で即位されて御在位76年、日本建国の基礎を打ち立てられ、
127歳の御長寿をまっとうされました。橿原神宮では、天皇の御長寿にならって、
年頭に皇室の弥栄いやさかと国民の延寿幸福を祈願しています。

外拝殿その2(2015.1)

橿原神宮の歴史

橿原神宮の創建以前、畝傍山の山麓周辺には、上代の天皇陵など
往昔の遺跡やそれらの伝承地が数多く残っていましたが、東南山麓の
橿原の宮跡には、これまでにどのような施設も造られた形跡がなく、
畑地となっていました。これは上代の都が当代一代限りのもので、
次々と遷都されていたためで、新帝が他に新宮を造営されると、
旧宮は取り払われて耕地に還元されていたと考えられます。

明治10年(1877年)から明治22年(1889年)にかけては、橿原宮址を
調査し、これを顕彰しようという動きが高まり、民間から宮址碑の
建立や橿原神社の建築の出願が相次ぎました。

明治22年(1889年)には、明治政府が神社創建を認可し、社殿として
京都御所の賢所と神嘉殿の2棟が下されました。明治23年(1890年)1月には
移築が完了、同年3月には、社号を橿原神宮とし、官幣大社に列せられる
ことになりました。そうして、橿原神宮は、神武天皇が即位された
「畝傍山東南」橿原宮の旧址に創建されました。

橿原神宮は創建以来、宮域の拡張整備と社殿の修築・造営が継続して
行われてきました。神威の尊厳を保ち、宮域の神聖を保持するために、
明治44年(1911年)から開始された第1回事業は、創建当初の2万159坪から
約1.8倍の3万6,600坪に拡張整備をして、大正15年に一応の完結をみました。
この間にも鉄道の開発・発展が進み、俗化されるおそれがあるため、
第2回の拡張が引き続き計画され、途中、関東大震災のために計画の遅れは
あったものの、宮域に隣接して約4万坪の畝傍公園が完成。いわば神宮外苑
として、宮域の神聖と風致の保存に役立つことになりました。

御鎮座50年にあたる昭和15年(1940年)は、神武天皇即位2600年にあたるため、
国を挙げての奉祝記念事業として、社殿の修築、境域と神武天皇陵の拡張整備、
駅舎や線路の移設などが計画されました。境域の拡張と外苑の建設は、明治神宮の
外苑建設にならい、勤労奉仕で行われる事となり、建国奉仕隊が組織されました。
解散までの作業日数はのべ500余日、7,20団体、のべ121万4,000余人が建設に
参加しています。また、宮域の造成に約7万6,000本余の樹木が造成されましたが、
うち2万2,000余本は、全国から寄せられた献木でした。植栽にあたっては、
神社境内の樹林は郷土の木をもって構成する事とし、樹種については、橿原の
地名から昔は樫の木が生い茂っていた事が推測されることから、カシ類を主として、
昔の姿に還元することを目標に決められました。

昭和15年(1940年)には、正月三が日の参拝者は125万人を数えました。
2月11日の紀元節には、紀元2600年奉祝紀元節記念大祭が挙行され、約70万人が参拝。
空前の盛り上がりをみせました。6月11日には、昭和天皇が御親拝されており、
その後も、外苑運動場での東亜競技大会や各種団体の全国大会、奉祝行事が続き、
橿原の地は紀元2600年で沸き立ちました。

昭和20年(1945年)の第二次世界大戦の終結後、橿原神宮も一宗教法人の神宮として、
維持経営上多くの困難に直面しましたが、宮域は戦前のまま護持しており、
創建以来百年を超える歳月は、ひときわ神気みなぎる厳かな環境を作りだしています。
紀元2600年記念で植栽された約8万本の樹木が約16万坪の宮域に生い茂り、
その豊かな緑が多くの人々に親しまれ、称賛されるほどになりました。

内拝殿(2014.8)

境内のみどころ

外拝殿(げはいでん)
畝傍山を背景に、両脇に長い廻廊を連ねた壮大な入母屋造りの外拝殿は、
昭和14年(1939年)に完成した建物で、昭和の神社建築の粋ともいうべき
豪壮さが特徴です。外拝殿の石階段を上ると、正面には内拝殿が聳え立ち、
その屋根越しには、幣殿の千木・鰹木が金色に輝いています。

表参道(おもてさんどう)
一の鳥居が建つ中央の主道の両側に橿の並木が続き、その両外側には副道が
設けられています。100mほどで神橋広場に到着し、神橋を渡ると二の鳥居があります。
参道はここから一線になり、南神門広場へと続きます。

北参道(きたさんどう)
外苑道路から分岐し、深い緑の中を通り抜けると北神門に達します。

西参道(にしさんどう)
近鉄橿原神宮西口駅方面から深田池に沿って山裾を通り、南神門広場で表参道に合流します。

神饌田(しんせんでん)

南神門(みなみしんもん)
表参道を西に進むと、素木建の八脚門で、切妻造の銅板葺の屋根の南神門に達します。
手水を済ませ、南神門の石段を上がり神域に入ると、背後に畝傍山を控えた
雄大な社殿が眼前に開けます。

北神門(きたしんもん)
もと正門として大正4年に建造された唐破風造の平唐門で、紀元2600年事業で
北神門として移築されました。

祓所(はらえど)
板塀に囲まれ、白い玉石を敷きつめた方形の庭で祭典に先立ち、宮司以下祭員が
修祓(身を祓い清める)を行います。

神楽殿(かぐらでん)
本殿と共に安政2年に建造された元京都御所の神嘉殿で、明治23年(1890年)
当神宮創建の際に、明治天皇から下賜されたものです。当初は拝殿に充てられて
いましたが、昭和6年に現在の位置に移築されました。その後、火災により消失
しましたが、平成8年6月に竣工されました。入母屋造桧皮葺で、宮殿建築の気品を
漂わせています。

参集所(さんしゅうしょ)
神楽殿に繋がる入母屋造銅板葺の建物で、祈祷並びに婚礼等の控室として
使用されています。

儀式殿(ぎしきでん)
昭和48年、伊勢神宮より移築された建物です。主に結婚式が行われており、
親族・友人を含めて60名参列可能です。

勅使館(ちょくしかん)
大正6年に建造され、屋根は入母屋造瓦葺となっており、勅使参向の際に参籠、
潔斎する建物です。広間・上壇の間・勅使の間・随員控室などがあります。

斎館(さいかん)
大正6年に建造され、瓦葺となっており、、祭典の際には、宮司をはじめ
神職が参籠、潔斎を行うところです。

祈祷殿(きとうでん)
平成10年に建造された祈祷殿です。交通安全祈願をはじめ、家内安全、
学業成就など、諸願成就を祈願する御祈祷を随時行っています。

貴賓館(きひんかん)
広間・上壇の間・展望室・応接室などからなり、入母屋造銅板葺、車寄は
唐破風造銅板葺です。廊下によって社務所と接続しています。

文華殿(ぶんかでん)
江戸時代末期の天保15年に建立された屋形の一部分で、1万石藩邸の遺構として
珍しい存在。昭和42年に、織田家旧柳本藩邸の表向御殿を移築復元、重要文化財
にも指定されました。

大書院(だいしょいん)
表座敷で殿様が家臣たちと対面したところです。さすが藩主だけあって、
格式高い造りで、下段の間より中段、上段と奥に入るにつれ床が高くなっています。
上段と中段・下段の室境にある極彩色鮮やかな彫刻の欄間に、江戸時代の様式が
遺されています。

橿原神宮会館(かしはらじんぐうかいかん)
昭和55年の御鎮座90年記念に建てられたもので、約500人収容の大広間と貴賓室
・和室などからなり、各種研修・講演会をはじめ、文化活動の拠点として、広く
利用されています。

橿原神宮廳[社務所](かしはらじんぐうちょう)
諸般の事務を処理するところです。入母屋造瓦葺、玄関は唐破風造銅板葺となっています。

崇敬会館(すうけいかいかん)
平成12年に、御鎮座110年並びに御祭神神武天皇が即位されて2660年の
佳節を記念して、崇敬者の方々と当神宮が今後共親しいご神縁を続けていただく為、
建設されました。休憩フロア、養正殿(大小研修室・奉賛者室)、宝物館(常設展示約50点)
から構成されています。

宝物館(ほうもつかん)
橿原神宮創建以来、奉納になった至宝の名品を出陳し、当神宮の歴史と文化の
歩みの一端を紹介しております。

森林遊苑(しんりんゆうえん)
表参道北側に広がる森林遊苑の中心をなす芝生広場は、森厳な林地と
対照的に開放的な遊園で、野外ステージ・休憩所などの設備があります。
正面には畝傍山(標高199m)があります。

若桜友苑(わかざくらゆうえん)

長山稲荷社(ながやまいなりしゃ)
御祭神は宇迦能御魂神(うかのみたまのかみ)・豊受気神(とようけのかみ)
・大宮能売神(おおみやのめのかみ)です。橿原神宮の末社であり、
橿原神宮御鎮座以前からこの長山の地にお祀りされており、橿原神宮の御造営
・御鎮座をご加護されてきました。開運厄除・五穀豊穣・商売繁盛の御神徳を
持つ霊験あらたかな稲荷社です。

深田池(ふかだいけ)
南神門広場の南方に明るい静かな水面が広がっています。
面積は約4万9500㎡(約1万5000坪)。対岸までの遊歩道が整備されています。

南神門(みなみじんもん)
香具山や耳成山とともに「大和三山」の一つとされる山で、
標高は大和三山で最も高い198.8mです。本神宮からは北神門から出て、
北参道の途中に畝傍山への登山口があります。歴史的風土特別保存地区に
指定されています。

<年間行事>

3月
長山稲荷社初午祭(初午の日)
春季皇霊祭遥拝(春分の日)

4月
御鎮座記念祭(2日)
神武天皇祭(3日)
神武天皇が崩御された4月3日に執り行われる神武天皇祭は、古くから
「神武さん」と親しまれ、地元はもとより近郷、他府県からの参拝者で、
社頭は終日にぎわっています。
また、境内地では橿原市・橿原市観光協会によります「春の神武祭」が
開催され、各種イベントが執り行われています。
御鎮座記念祭(2日)神武天皇祭(3日)神武天皇が崩御された4月3日に
執り行われる神武天皇祭は、古くから「神武さん」と親しまれ、近郷、
他府県からの参拝者で、社頭は終日にぎわっています。
境内地では橿原市・橿原市観光協会によります「春の神武祭」も開催され、
こちらでも、各種イベントが執り行われています。
下種祭(中旬)
昭和祭(29日)
昭和天皇のご誕生の日に、昭和天皇のご遺徳を景仰し皇威の隆昌と国運の
発展を祈り、昭和の御代を顕彰する「昭和祭」が行われ、これに併せて
橿原神宮に御奉賛の誠を尽くされた、皆様方に感謝の意を表す祭典が
齋行されます。

5月
長山稲荷社例祭(2日)
有楽流献茶祭(5日)

6月
御田植祭(上旬)
夏越大祓(30日)
「大祓」とは、1年に2回(6月と12月)行われ、6月の大祓を
「夏越しの大祓」、12月の大祓を「年越しの大祓」ともいいます。
半年間の罪けがれを祓い清めて、次の半年を無病息災に過ごせるよう
願う神事です。
私たちが日常生活の中で、知らず知らずに犯してしまった罪汚れを
人形に託して身体を清め、心新たに生活を営むべく、大きな力を得る
大切な行事です。

7月
夏越神楽祈祷奉奏(1日)
神楽講習会(下旬)

8月
林間学園(1~5日)
県内の小学生に参加を呼び掛け、夏休みの5日間(8月上旬)、神宮神域の
森林内や施設を利用して、開催しています。子供達は、自然の中で科学・
歴史・図工・音楽の各教室に分かれて学ぶと共に、総合学習で雅楽の鑑賞、
畝傍山登山、オリエンテーリングなど学校外での集団体験をいたします。

9月
献燈祭(9日)
社頭に釣燈篭を奉納された特別奉賛者の弥栄と家運隆昌祈願の祭典です。
9月9日の夕刻に約600基の釣燈篭が幽玄的で荘厳な社殿を映し出します。
秋季皇霊祭遥拝(秋分の日)

10月
秋季大祭(3日)
秋のみのりを報謝する大祭です。御祭神・神武天皇様の御神恩に感謝をする
例祭です。祭典では、今年の豊かな実りに奉謝するとともに、国家の繁栄と
国民の平安、 そして全国の崇敬者の方々の家運隆昌と無病息災を祈願します。
神嘗奉祝祭(17日)
抜穂祭(中旬)
七五三特別祈祷(10月1日~12月第1日曜)
菊花展(10月中旬~11月23日)

11月
明治祭(3日)
新嘗祭(23日)
11月23日、宮中神嘉殿において天皇陛下が新穀を天神地祇に供え、また自らも
食せられます。我国の祭のうちでも重要な祭儀のひとつで、橿原神宮においても
神々に収穫を感謝し、大祭としての祭儀が執り行われます。

12月
天長祭(23日)
煤払神事(28日)
大晦大祓(31日)
『大祓』とは、1年に2回(6月と12月)行われ、6月の大祓を
「夏越しの大祓」、12月の大祓を「年越しの大祓」ともいいます。
半年間の罪けがれを祓い清めて、次の半年を無病息災に過ごせるよう願う
神事です。私たちが日常生活の中で、知らず知らずに犯してしまった罪汚れを
人形に託して身体を清め、心新たに生活を営むべく、大きな力を得る大切な行事です。
神符遷霊祭(31日)
除夜祭(31日)

1月
歳旦祭(1日)
新春初祈祷(1日~7日)
新春を迎えて、元旦から7日間、毎朝9時から日没まで新春初祈祷を行います。
旧年の御加護を感謝すると共に、新しい年の御皇室の繁栄、国家の安泰、
世界平和を御祈祷し、特別御神楽を奉納します。また、ご参拝者の開運招福と
健康延寿、家庭の繁栄、企業の隆盛を御祈願しており、初詣には毎年70万人を
超える多くの方が参られます。
長山稲荷社歳旦祭(2日)
元始祭(3日)
書き初め大会〈奈良〉(5日)
書き初め大会〈大阪〉(6日)
昭和天皇祭遥拝(7日)
神武講社新穀奉献感謝祭(中旬)
書き初め大会表彰式(下旬)

2月
紀元祭(11日)
1年を通じて行われる祭典のうち、最も重要なお祭りは例祭の紀元祭です。
毎年2月11日(現在の建国記念の日)に、勅使参向のもとに行われます。
御祭神の神武天皇が橿原宮で即位された古を偲び、建国創業の御神徳を
景仰する国民的祭典として、全国津々浦々から寄せられる奉賛と、
数千名に及ぶ参列者によって年々盛大に執り行われています。
祈年祭(17日)

 

橿原神宮( http://www.kashiharajingu.or.jp/ )

深田池(2014.8)

(The Shadow)

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