暗殺された蘇我入鹿の首が飛んできた場所?:奈良県高市郡明日香村
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明日香村といえば飛鳥寺!そこにあるのは、ひっそりと佇む蘇我入鹿の首塚!
飛鳥寺境内の西門跡の先にある首塚(2015.1取材)
明日香村の象徴とも言える飛鳥寺境内の西門跡の先にある五輪塔。
鎌倉時代または南北朝時代の建立と考えられており、高さ149cmの
花崗岩製で、笠の形の火輪の部分が大きく、軒に厚みがあります。
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首塚はこちら
蘇我入鹿の首塚
この蘇我入鹿の首塚には諸説ありますが、645年の大化の改新時、
飛鳥板蓋宮で中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)らに暗殺された
蘇我入鹿(そがのいるか)の首が飛んできた、また、首を供養する
為に埋めたとも言われています。
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蘇我入鹿の首塚
「飛鳥寺」とは?
飛鳥寺(あすかでら)は、正式には安居院(あんごいん)と言い、
推古天皇の時代に、蘇我馬子(そがのうまこ)が、596年に建立した
「法興寺(ほうこうじ)」の後身で、東西215メートル、南北293メートルに
及ぶ大寺院でしたが、建久7年(1196年)に落雷を受け、そのほとんどが
焼失してしまったと言われています。
文政8年(1825年)になって、大坂の篤志家の援助を得て、尼僧が
飛鳥大仏の為に本堂を再建し、現在に至ります。
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飛鳥寺
本堂に祀られている大仏
本堂には、止利仏師の作と伝えられる飛鳥大仏が祀られており、
609年に釈迦三尊像として完成し、当時の中金堂に安置されました。
しかし、建久7年の火事で金堂が消失し、仏像も大破、わずかに頭や指等が
残り、その後、幾度となく修復されたそうです。
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止利仏師の作と伝えられる飛鳥大仏
「明日香村」という地域
明日香村は、村全域が歴史的風土保存地域であり、特別保存地区に指定されています。
田園が地域のほとんどを占め、歴史的資産が数多く残りながら、生活の場としても、
機能しており、役所やコンビニに至るまで、その景観を壊さぬ様な外観にする様、
定められています。
現存する歴史的資産も数多くあり、巨大な石造物が多いのですが、そのほとんどは、
発掘されても、もう一度きれいに埋め戻されてしまいます。観光用に野ざらしにして、
風雨によって侵食されるよりは、しっかりと保護をして研究につなげてゆこうという
明日香村のこだわりが感じられます。
飛鳥寺へのアクセス
奈良県高市郡明日香村大字飛鳥682
電話:0744-54-2126
拝観時間:4月1日~9月30日 9:00~17:30(受付は17:15まで)
10月1日~3月31日 9:00~17:00(受付は16:45まで)
休業日:4月7日~4月9日
飛鳥寺( http://asukamura.com/?page_id=313 )
(The Shadow)
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