500年の伝統、灯と水のだんじり舟神事「津島天王祭」津島神社の厳粛な神事:愛知県津島市

日本三大船祭りのひとつに数えられ織田信長、豊臣秀吉、尾張徳川家にも愛された歴史ある荘厳華麗な川祭り。

室町時代から続き、500余年の歴史を持つ荘厳・華麗な川祭り。

 愛知県津島市にある津島神社、その名を全国的に知れ渡っているのは、祭儀の中で重要で厳粛な神事である「天王祭」であります。津島神社の祭礼として600年の伝統を誇っています。天王祭の起源は、南北朝時代、津島に流れてきた南朝方の良王親王を守る津島武士が、北朝方の武士を舟遊びに誘って討ち取ったことに由来するとも言われていますが定かではありません。
 神社に残っている書物には、長禄3年(1459)には祭事として行われていたと言う記述が残されていてこれ以前には天王祭が行われていたと考えられます。
 織田信長、豊臣秀吉や尾張徳川家は幾度も見学をしたと言われています。信長が見学したと言われる「宵祭」は屋台の上に500個以上の和ろうそくを使った提灯を掲げ、備え付けるのに約1時間半余り掛かります。車河戸で、その作業は行われ、風などの影響で取付け作業に時間が掛かっていました。

津島神社拝殿

水面に映る提灯の灯りが幻想的な世界を醸し出します

天王祭・宵祭りのクライマックス

 夜の帳が下りる頃、津島笛を奏でながらゆうゆうと5艘の巻藁船(まきわらぶね)が天王川公園・丸池を漕ぎ渡る姿は壮観で、無数の提灯の灯りが水面に映り、その美しさをさらに際立たせ、灯と水のドラマは頂点に達します。全国の数ある夏まつりの中でも最も華麗なものと言われています。
 「宵祭」が始まる前には、火縄銃の試し打ち、和太鼓の演奏、夕暮れ時5艘が漕ぎ渡り始める時には、花火が打ち上げられ壮大な祭りが始まりました。
 多くの屋台が出ていてその数、数百は出店していたと思います。来場者も数万人と凄い人で外国の方も結構、見られました。浴衣姿の若い女の子も多く見られ、お祭り気分をさらに盛り上げていました。

火縄銃の試し打ち

飾り付けを変えた6艘の車楽船で繰り広げる朝祭り

 翌日の「朝祭」は、各艘それぞれに飾り付けをガラリと変えて、津島5艘の祭船に旧市江村の市江車楽船(だんじりふね)を先頭に6艘の車楽船(がでます。市江車楽船の屋台には能の出し物をかたどった置物を飾り、楽を奏でながらゆうゆうと漕ぎ進む有様は王朝絵巻を見る様な豪華さです。先頭の市江車楽船から10人の鉾持が布鉾を持って水中に飛び込み川を泳ぎ、神社に向かって走り拝殿前に布施を奉納します。その姿は勇壮というほかありません。

重要無形民俗文化財に指定された荘厳なる「津島天王祭」

 祭りは昔から陰暦の6月14日の「宵祭」と翌15日の「朝祭」を中心に、約3カ月にも渡って続く長い祭りで、14・15日の両日には遠方からも多くの人が物見に訪れ、津島はたいそうな賑わいを見せていたと言います。昭和38年から、太陽暦の7月の第4土曜日・日曜日に変更されました。
 現在では「尾張津島天王祭」と言われ、昭和55年「尾張津島天王祭の車楽船行事」国の重要無形民俗文化財に指定され、昭和59年「尾張津島天王祭の車楽」県の有形民俗文化財に指定されました。日本三大川まつりのひとつに数えられています。現在では、ユネスコの無形文化遺産候補になっているそうです。
 2日間に渡る、伝統ある壮大で厳粛なお祭り「尾張津島天王祭」でした。

津島市産業振興課
http://www.city.tsushima.lg.jp/index.php?dtype=1000&oid=868&pid=143

(ぶら旅ネット K.Yamada)

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