16世紀、歴史に名を馳せた、信長と秀吉を生んだ街・尾張名古屋その象徴的存在が名古屋城です。

「名古屋城」は、徳川家康が天下統一の最後の布石として、大阪への備えに天下普請により築いたお城です。

有名な「清洲越し」と言われる清洲の城の移転により「名古屋」の街が誕生。

 昔から尾張名古屋は城で持つと言われた「名古屋城」、愛知県名古屋市の観光地と言えば全国の誰もが、金のシャチホコの「名古屋城」と答える位に有名です。
 16世紀、歴史に名を馳せた、織田信長と豊臣秀吉を生んだ街として有名な「尾張名古屋」。関ヶ原の戦いに勝利して天下の実権を握った徳川家康が、豊臣方の備えとして水害に弱い「清洲城」から海、陸の連絡に便利な那古野城跡に天下普請により移転し、築城されました。
 「名古屋城」は、「姫路城」、「熊本城」と共に日本三名城に数えられ、天守閣に上げられた金の鯱は、名古屋の街の象徴で、全国的にも有名であり、別名「金鯱城」とも呼ばれています。

名古屋城・天守閣

大阪城の豊臣秀頼との武力衝突に備えての天下普請の城。

 「名古屋城」は、慶長14年(1609年)に関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が、豊臣方への備えとして、織田信長誕生の城とされる那古野城の跡周辺に九男義直の為に天下普請(江戸幕府が全国の諸大名に命じ、行わせた土木工事の事)により築城されたと言われています。
 名古屋城の石垣には、丸、三角、扇子や軍配など様々な「しるし」が見られます。これは、「刻文」といって名古屋城の築城工事に携わった大名と家臣のしるしで、苦労して運び込んだ石垣を他の大名と間違えないようにしるしを付けたものです。城内で「刻文」された石垣を見つけるのも新たな楽しみかも知れません。
 お城は、慶長17年(1612年)に完成し、尾張初代藩主として家康の9男義直が入り、以降「名古屋城」は御三家筆頭の尾張徳川家の居城として栄えました。
 明治維新後は、名古屋離宮として美しいたたずまいを誇っていましたが、1891年(明治24年)の濃尾大地震により、本丸多聞櫓の一部が倒壊しましたが、天守閣と本丸御殿には大きな被害はありませんでした。
 しかし、太平洋戦争末期、1945年(昭和20年)5月14日の空襲により本丸御殿、金鯱、大天守、小天守、正門などが焼夷弾の直撃を受けて焼失してしまいました。戦後、名古屋のシンボルとして天守の再建を望む声が高まり、1959年(昭和34年)に再建されました。

西外堀から見た名古屋城

「平成の市民普請」と言われる名古屋城本丸御殿。

 天守閣再建より遅れる事48年、2007年(平成19年)に文化庁より本丸御殿の復元工事の許可を得て、2009年(平成21年)から工事の開始を始め、「名古屋城本丸御殿」2018年(平成30年)の完成を目指しています。本丸御殿の総面積は3100m2、部屋数は30を超える平屋建ての建物です。復元工事は、「平成の市民普請」として、市民の支援の元、工事が進められています。本丸御殿の工事の様子も見学することができます。
 第1期は完成して玄関・表書院は公開中で、第2期工事は2016年完成予定です。対面所等の工事中を見学する事も出来ます。第3期は2018年、復元工事の完了予定です。

名古屋城・本丸御殿正面

本丸御殿の復元工事の見学コース

「名古屋おもてなし武将隊」の活躍が、大人気!

 2009年11月、全国の武将隊ブームの先駆けとなった「名古屋おもてなし武将隊」が、結成されました。城内にて土・日・祝日におもてなし演舞を繰り広げています。毎年、夏8月中旬の15日間、「名古屋城宵まつり」が開かれています。江戸時代の風情を感じながら子供からお年寄りの方まで楽しめる「市民参加による祝祭」夕暮れ時に行かれる事をお勧めします。開催期間中は夜10時まで開城しています。

名古屋城
愛知県名古屋市中区本丸1-1
TEL052-231-1700
営業時間 午前9時~午後4時30分
入館料金
個人 大人(高校生以上)500円 中学生以下 無料
団体(30人以上)大人(高校生以上)450円 中学生以下 無料
団体(100人以上)大人(高校生以上)400円 中学生以下 無料
名古屋城公式ウェブサイト
http://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/

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