誇るべき歴史文化を忠実に復元し、当時の景観を再現した 中山道52番目の宿場町、「鵜沼宿」
江戸時代五街道のひとつ中山道。「鵜沼宿」は明治24年の濃尾大震災で、町の建物が壊滅的な打撃を受けた。
歴史と新しい街道文化創造の宿場町、岐阜県各務原市「鵜沼宿」へ
中山道は慶長6年(1601)から7年間で他の4街道(東海道、日光街道、奥州街道、甲州街道)とともに整備された街道である。古くは都と東国を結ぶ東山道と称されていた。
将軍家へ嫁ぐ姫宮が、この道を通って江戸へ向かったことから「姫街道」とも呼ばれるようになった。“鵜沼宿”は、慶安4年(1651)に中山道の道筋付け替えがあり、現在の各務原市鵜沼東町と西町にあたる七町余(約800m)へ移された宿場町である。
中山道鵜沼宿町屋館
復元・再生された町並みを
明治24年(1891)の濃尾大震災で、町の建物の多くが失われ壊滅的な打撃を受けた。その後、国道整備などの都市開発が進む中で、宿場町の景観が損なわれつつあったが、町並み再生のため、平成18年(2006)から歴史的建造物を復元・再生する計画がスタートした。
平成20年(2008)に「中山道鵜沼宿町屋館」がオープンした。その昔、旅籠を営んでいた武藤家から建物の寄進を受け整備したもので、古い町屋の特徴を伝えている。 平成22年(2010)には、「中山道鵜沼宿脇本陣」が復元された。これは「鵜沼宿家並絵図」を元に現代に蘇らせたもので、格式高い建物の特徴を見ることができる。平成23年(2011)には、電線の地中化工事や駐車場も新たに整備し、再生事業は完了した。
現在も生活道として地元の人たちに親しまれている街道沿いには、当時は道の中央にあったとされる水路を復元し、道行く人にせせらぎの美しい音を届けている。歴史的街道の新しい街道文化の創造は、訪れる人々に“鵜沼宿”の新たな魅力を強く印象づけている。
脇本陣や町屋館など、多くの旅人で賑わった頃の景観が再現されています。見事に町並みを再生させた鵜沼宿。歴史と文化を活かした新たな賑わいは、これからも広がっていくことだろう。
宿場町の面影が漂う大安寺大橋
大安寺大橋たもとの英泉の浮世絵を元にした碑や鵜沼宿の説明
鵜沼宿の周りには‥‥
太田宿に向かう「うとう峠」には、中仙道一里塚があります。うとう峠の言われはこの坂を鵜沼宿の東坂と呼ばれ、それが由来となっています。近くの「日本ラインうぬまの森」は緑豊かな自然に囲まれ野鳥や昆虫が数多く生息しています。市民の憩いの場であり、ハイキングにもお勧めです。
所在地・アクセス
中山道鵜沼宿町屋館 (歴史民俗資料館)
電話:058-379-5055
岐阜県各務原市鵜沼西町1丁目116番地3
開館時間 9:00-17:00
休館日 毎週月曜日(月曜日が祝日の場合、その翌日) 祝日の翌日(その日が土曜日、日曜日、月曜日、 祝日の場合、さらにその翌日) 年末年始(12月28日-1月4日)
入館料 無料
アクセス
名鉄「鵜沼宿」駅から徒歩約15分 JR「鵜沼」駅から徒歩約20分
東海北陸自動車道「各務原IC」から車で約15分
(ぶら旅ネット K.Yamada)