戦国の1526年、木曽川北岸の高くそびえる城山の巨石上にあった「中津川苗木城」跡:岐阜県
岩山に築かれた、今話題の山城・苗木城跡。天守展望台から望める恵那山と木曽川の美しい景色が楽しめます。
「山城」人気の影響?遠方からの来場者の多さに驚きました。
苗木城ってご存知ですか。先日、地元出身の友人のススメで中津川市街から北西約5kmにある「苗木城跡」へ行って来ました。中津川市街地から車で約12分の所にあり、木曽川の右岸の一段と高くそびえる山の頂上にある山城(標高差約170m)です。
駐車場には、神戸、浜松、品川、習志野ナンバーの車が止まっており、これほど知られているのだと非常に驚きました
今話題になっている日本のマチュピチュと呼ばれる「天空の城」、兵庫県にある「竹田城跡」の影響で日本各地にある「山城」が人気を集め、多くの観光客が訪れているそうです。このような事もあり関東や関西からも訪れているのではないでしょうか。
笹置矢倉より天守展望台を望む
天然の巨石を生かして組み込まれた石垣はまさに見事です。
苗木城は、戦国時代1526年(大永6年)に遠山昌利が高森山に築城したと言われています。隣の岩村城と並び、「山城」の中の名城。眼下に木曽川が流れ、天然要害で山から岩盤が露出しており、岩盤そのものが天守台にして天守が建てられた。石垣の保存状態も良く見どころはずばり石垣です。
遠山氏は戦国の動乱で一度、苗木城を追われたそうですが、関ヶ原の戦いで徳川家康にその献身ぶりを買われて、再び領主に戻り、明治維新まで12代にわたり小藩(壱万石)ながら幕末までこの地を治め続けた。苗木城は別名、霞ヶ城、赤壁城、高森城とも呼ばれるそうです。
赤壁城の由来は、城の壁が白漆喰ではなく赤土がむき出しになっています。その理由は木曽川に住む竜が白い色を嫌い、何度塗り替えても白漆喰を、嵐を起こしてはぎ取ってしまうと言う話があります。実際は、苗木藩が経済的に貧しく漆喰を塗る経費が捻出できなかったと言われています。1871年(明治4年)に廃城となりました。
錦蔵門跡
大矢倉の巨石と石垣
天守展望台からの眼下に広がる360°の景色は素晴らしい眺めです。
駐車場から天守展望台まで歩いて約15分、石畳の山道を歩いていると巨石と一緒に組まれた石垣が見えてきました。日本の石垣と言うよりも西洋の城壁に見えました。山の上に建つお城からでしょうか、進んで行くと風吹門、台所門、坂下門などいくつもの門跡を通り、高森山頂上へ、そこには大きな巨石の上に建つ天守展望台がありました。展望台のその場所に天守閣が建っていたそうです。そこからの恵那山と木曽川の美しい景色、中津川市街が望める絶景は素晴らしく、良かったです。
苗木城跡
岐阜県中津川市苗木2897-2
通年 無休 見学自由
●苗木遠山資料館
午前9時30分~午後4時30分
月曜休み、祝日は翌日休み、年末年始
入場料 大人310円 小人100円
電話 0573-66-8181
巨石の上に建っていた天守跡に作られた展望台
天守展望台より中津川市街を望む
(ぶら旅ネット K.Yamada)